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大東亜戦争ニュース・2017/ 12~7 6~1
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大東亜戦争ニュース・2017/12~7
アメリカ(コミンテルン)の罠に嵌った大日本帝国!
2017・12・21 ユーチューブ 日本人必見動画!
コミンテルンの謀略とスパイ天国・日本(江崎道朗氏)-ザ・リアルインサイト2017年12月号
「コメント」
2時間58分に渡るインタビュー全編は「ザ・リアルインサイト」会員専用サービスでご視聴いただけます。
是非、以下のページをご確認ください。
https://www.realinsight.tv/

 ※日本は大東亜戦争の入口にアメリカによる罠か仕掛けられていた史実が明らかになりつつある今、そろそろ大東亜戦争の総括をすベキ時期が到来している。
松木さん、教育は日本とて変わらんだろう!
2017・12・22 (1/2ページ) 松木國俊 【目を覚ませ韓国】 日本人もネ!
産経ニュース 大東亜戦争で日本人とともに戦ったのに事実と全く逆のことを教える韓国の学校
「記事内容」
韓国はことあるごとに自国を「第2次大戦の戦勝国である」と主張し、学校の教科書でも「韓国人は連合軍の一員として日本と戦った」と教えている。
だが、事実は全くその逆である。(夕刊フジ)
※記事内容は夕刊フジor「国政」同一日の記事をご覧あれ!
つづく
  ■松木國俊(まつき・くにとし) 
朝鮮近現代史研究所所長。
1950年、熊本県生まれ。
73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。
直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。
2000年に退社。
韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」前幹事長。
著書に『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)、『日本が忘れ韓国が隠したがる 本当は素晴らしかった韓国の歴史』(ハート出版)など。
 
※大日本帝国皇軍(関東軍)に合流した朝鮮人は高麗帽子(虎の威を借りた狐)と満洲人を除くシナ人から揶揄されていた。(この時から既に朝鮮人は人種差別主義者、シナ人から嫌われており、日本人の面汚しであった!)
朝鮮人の素行を知る皇軍は使いものにならなり朝鮮人を第一線から排除、捕虜収容所等の後方で使ったとある。
日本政府(政治家+役人)と日本人が敗戦史観から脱却しない限り、韓国と北朝鮮、シナは決して変わることは無い!
松木國俊氏の日本人のルーツや朝鮮人のルーツ(ユーチューブ)が特に面白い! 
日本人であれば動画をご覧になれば皆、納得するであろう!
プライド無き愚かなシナ人の被害者ビジネス!
2017・12・14
産経ニュース 重慶爆撃、二審も遺族敗訴 東京高裁「当時の国際法に基づく損害賠償請求権なし」
「記事内容」
日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人の遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の一審東京地裁判決を支持し、遺族らの請求を退けた。
永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で
  「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。
判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や、四川省の各地を狙って爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。
祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し
  「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。
弁護団は上告する方針。
 
※シナ人は厚かましいにも程がある。
最高裁は棄却すべき! 
シナ大陸で多くの日本人がシナ人から虐殺された事例は多い。
シナ人が訴訟を起こすなら日本人もシナ政府に対し訴訟を起こせ!

日米開戦・真珠湾攻撃の真実を知りたい!
2017・12・8 (1/4ページ) ロンドン 岡部伸 電報の写真あり! 日本人必見記事!
産経ニュース 米英、日本の軍事行動を予測、開戦誘導か ルーズベルト・チャーチル往復電報 
「記事内容」
日本によるハワイの真珠湾攻撃から8日で76年。
英国立公文書館が所蔵するウィンストン・チャーチル英首相とフランクリン・ルーズベルト米大統領の往復電報によれば、ルーズベルトが開戦13日前に日本の「軍事行動」を予測していたことがうかがえる。
チャーチルも返電で対日譲歩に反対し、ルーズベルトが日本に最後通告の「ハル・ノート」を提示した後の開戦直前に米英合同で事実上の“宣戦布告”を呼び掛けていた。
米英指導者は戦争回避より先制攻撃するように日本を追い詰め、開戦へと誘導したとの見方が専門家から改めて示されている。
日米が戦争回避に向けて交渉を続けていた1941年11月25日午後1時20分に英外務省が受信したチャーチルあての電報でルーズベルトは、日本側から20日、
  「南部仏印(仏領インドシナ)から兵を北部仏印に引き揚げる代わりに米国側は通商関係を資産凍結前に戻し石油の供給を約束する」暫定協定案が提出されたと伝えた。
その上で、米政府が
  「日本が南部仏印から撤兵し、北部仏印の駐留兵を7月26日時点の2万5千人以下にすれば、米国は在米日本資産の凍結を解除する」などの提案を作成したと報告。
これは後のハル・ノートの原案の一つで、幻の「暫定協定案」(日本が受け入れ可能な3カ月休戦案)と呼ばれる。
しかし、ルーズベルトは追記して
  「これは日本人に対し適正な提案と思えるが、諾否は実のところ国内の政治状況による。あまり希望を持てない」と悲観的な見通しを示し、
  「われわれ(英米)はすぐに起こるであろう本当の困難のためにあらゆる準備をしなければならない」と警告した。
  日本を挑発、追い詰めた
  ■より厳しい協定案
  ■チャーチルも呼びかけ
中略
日米の開戦責任について、東京裁判の判決は、「米国の譲歩にもかかわらず、日本は戦争計画を推進し、真珠湾の奇襲をはたし、強引に戦争に持ち込んだ」と一方的に日本に非があったとしている。
しかし、往復電報は、
  「日本が和平交渉の最中に奇襲攻撃した」卑怯なだまし打ちではなく、
  「米英指導者が戦争ありきで日本を挑発して開戦へと追い詰めたことがうかがえる」(中西氏)との解釈を裏付けている。
 ※子供の頃、講堂に生徒が集められ白黒映画を鑑賞した。
題名は忘れたが、駐米全権の使野村大使が米の日本大使館であたふたする場面が未だに覚えている。
今考えれば、この映画は日本側が制作したプロパガンダと容易に推察できる。
ここで問題なのは、駐米全権の野村大使の戦後の身の処し方、扱われ方である。
大罪を犯した野村大使は何故、のうのうと生き長らえたのか? 
彼の身の処し方は当時、日本人の常識からすれば、当然、切腹である。
終戦後、GHQの占領下の日本だが、何故かGHQと日本政府は大罪人である野村元大使を丁重に扱い三菱だったと思うが、天下りをも果たしている。
大日本帝国の最大の汚点となった真珠湾攻撃、未だ未だ事実が隠されているに違いない。
しかし、今もだが、誰も野村大使に言及すること無く時が流れているが、事実は未だ藪の中にある。
日米開戦の真実!
2017・12・3 チャンネルくらら
特別番組 冬の戦争シリーズ「日米開戦の真実~隠蔽された近衛文麿の戦争責任」第2回思想から読み解く近衛文麿の正体 秋吉聡子 倉山満【チャンネルくらら・12月3日配信】
「放送内容」
  ★12月4日新発売!『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』 倉山 満著  http://amzn.asia/j2TQzM2
いったいなぜ日本は戦争しなければならなかったのか。
1910年代からの国際状況と日本の政治状況を分析しながら、何が起こっていたのか明らかにします。
憲政の王道を行く政党政治、コミンテルンのスパイの暗躍、自由主義者の欧米追随、右翼国粋主義者の動きなど、いままでの自虐史観や陰謀論を超えた世界を俯瞰した一冊です。
そして、そのすべてに関与し、時には戦争推進者になった近衛文麿という存在とはなんであったのか。
いままでどの歴史家も踏み入れなかった真実に迫ります。
アメリカの無差別攻撃=戦争犯罪
2017・11・21
産経ニュース バシー海峡戦没者を慰霊 台湾南端
「記事内容」
第2次世界大戦末期に台湾南方のバシー海峡で命を落とした日本人将兵らを悼む慰霊祭が19日、台湾南端の屏東県恒春の岬にある
  「潮音寺」で行われた。
遺族ら約60人が参加した。
バシー海峡や周辺海域は、戦争中に多数の日本軍輸送船が米潜水艦の魚雷などにより撃沈され
  「輸送船の墓場」と呼ばれた。
犠牲者は少なくとも10万人、最多で26万人に上るとの推計もある。
潮音寺は、1944年8月に撃沈された輸送船に乗っていて奇跡的に生還した故中嶋秀次さん=静岡県出身=が81年、私財を投じて建立した。
大日本帝国が頑張っていた証!
2017・11・21 (1/2ページ)
産経ニュース 幻の“ジェットエンジン”発見?  戦闘機用に開発、試作段階で終戦 ICUキャンパスで発見
「記事内容」
東京都三鷹市大沢の国際基督教大学(ICU)のキャンパスで、先の大戦中に日本が開発を進めたジェットエンジン「ネ230」のものと推測される部品が見つかった。
ネ230の開発は終戦で打ち切られ、図面も現存していない。
その開発の舞台裏では、戦況が悪化する中、多くの人命を犠牲にした決死の作戦があったという。
発見されたのは、ネ230の排気ノズルと推測される部品。
大学構内の管理を請け負う会社の先代社長が戦後、構内で見つけたものらしく、構内の資材置き場に放置されていた。
同大構内には戦時中、軍用機開発の拠点だった中島飛行機三鷹研究所があった。
平成27年、同大教養学部2年(当時)の古川英明さんが、管理会社から謎の部品の話を聞き、高校時代の恩師、国際基督教大学高校の高柳昌久教諭に報告。
興味をそそられた高柳教諭は文献資料を探し、専門家に写真を送るなどして調査を始めた。
ネ230の形状などを示す資料はほとんど見つかっていないが、28年6月、中島飛行機の後身にあたる会社の技術者らが大学を訪れ部品を検分。
さらに今年7~10月、国立文化財機構東京文化財研究所で詳細な調査が行われ、最終的に
  「ネ230の排気ノズルである可能性が極めて高い」との結論に至った。
日本のジェットエンジン開発は戦時中、燃料不足や高高度を飛ぶ米爆撃機対策の切り札として急がれたが、日本独力での開発は難航した。
このため、日本海軍は同盟国ドイツの最新軍事技術を入手しようと潜水艦をドイツに送る作戦を敢行。
計5回のうち3回は途中で撃沈されたものの、この作戦で日本に持ち帰られた図面がジェットエンジン開発の土台になった。
ネ230は陸軍の戦闘攻撃機「キ201・火龍」に搭載される予定だったが、試作段階で終戦を迎え、日の目を見ずに終わった。
発見された部品は溶接部分などに粗雑さが目立ち、航空機による体当たり攻撃が横行した戦争末期の製造技術のいびつさをうかがわせるという。
高柳教諭
  「このエンジン開発の過程でいかに多くの人命が失われたかにも思いをはせるべきだ。今後、新たな資料、証言の発掘につながることを願う」とコメントした。
 
※高柳よ、お主は日本を守り気があるのか? 出自が朝鮮人orシナ人なのか? 
日本に今、向けて言う事では無かろうに・・・ シナと北朝鮮に言え!
レイテ沖海戦
2017・11・9 戸津井康之
産経WEST レイテ沖海戦の証言者(上) 重巡洋艦「最上」乗員が見た“史上最大の海戦”
「記事抜粋」
今から73年前の昭和19(1944)年10月、日本海軍はレイテ沖海戦で米海軍と戦い壊滅的な打撃を受けた。
映画「連合艦隊」(昭和56年)の中でも描かれた“囮(おとり)部隊”として、この戦いの渦中にいた重巡洋艦「最上」に乗艦し、撃沈される日本艦隊の最後の姿をつぶさに見ていた目撃者がいる。
元海軍零式水上偵察機(零式水偵)搭乗員、加藤昇さん(95)。
最上も沈没し、多くの乗員が戦死したが、加藤さんは駆逐艦に救助され、奇跡的に生還した。
その後、水上偵察機「瑞雲」に爆弾を搭載して何度も出撃。
幾多の死線をくぐり抜けてきた。
“史上最大の海戦”といわれるレイテ沖海戦の真実を、歴戦の“水上機乗り”が振り返り証言した。  
  洋上で奪われた“翼”  “水上機乗り”となり最上へ-  洋上でのカタパルト訓練
  “大和映画館”でのひととき
厳しく苦しい戦闘訓練の一方、
  「楽しい思い出もあったんですよ」と加藤さんは、こんなエピソードを教えてくれた。
  「洋上に停泊中の戦艦『大和』の甲板上にスクリーンを張って、定期的に映画の上映会が開かれていたのです。米軍から押収したフィルムだから日本では見ることのできない作品ばかり。『最上』から“大和映画館”に行くことが数少ない楽しみでしたね」と加藤さんは笑った。 
洋上での厳しい戦闘訓練に明け暮れる加藤さんに初陣の日が刻一刻と近づいていた。
同年10月、米軍はレイテ島に上陸を開始。
米艦隊の軍艦が決戦の地に続々と集結していた。
そして日本海軍も決戦に臨むため、レイテへ向けて出撃。
加藤さんの乗艦する最上も“囮”としてレイテ湾を目指す。   =つづく
大東亜戦争記館を建設せよ、日本政府!
2017・11・9 【いまも飛ぶ大戦機】
産経ニュース “幻”の「震電」と「橘花」 米国に現存する日独軍決戦兵器
「記事内容」
歴史に「もし」はない。ところが日本人は、戦史上の「もし」が大好きのようで、かつて架空戦記小説が大ブームとなり、昨今ではコミックやCGのバーチャル戦記がもてはやされている。
そして未完兵器の奮戦によって戦局が逆転する設定が多い架空戦記の中でも、とりわけ人気が高いのが日本海軍局地戦闘機
  「震電」だ。
現実には試作機が完成しただけで、満足な性能を発揮するには至らなかったが、その先尾翼型の近未来的なフォルムが、架空戦記愛好家の想像力をかき立てるからであろう。
(※10月28日にアップした記事を再掲載しています)
 ※負けを恥じるな! 大東亜戦争の目的を達成した大日本帝国を讃えよ、そして、皇民日本人である事を誇れ!
盧溝橋事件に真実・劉少奇(共産党)が仕掛けた罠!
2017・11・2 DHCTV 日本人必見動画!
【DHC】11/2(木) 有本香・石平・居島一平【虎ノ門ニュース】

「放送内容」
  出演:有本香・石平
00:02:51 オープニングトーク
00:03:51 番組スタート
00:06:04 有本香氏・石平氏オープニングトーク
00:14:07 タイトル
00:16:25 第4次安倍内閣が発足 子育て 北朝鮮対応注力/衆院議長に自民・大島氏 立憲民主党・赤松氏が副議長
00:24:59 「民意をゆがめる虚構の多数だ」共産・志位委員長
00:51:13 新代表に大塚氏選出へ 前原氏後任 党立て直し急ぐ
01:12:26 石平のDESUわなNOTE(日中戦争 中共の陰謀!)
※日本人必見!
01:30:13 尖閣諸島のお天気
01:31:09 トラ撮り!(有本香氏:タイ料理屋)
01:33:55 トラ撮り!(石平氏:WiLL 日本の美しき清流と禊ぎの文化)
01:31:09 トラ撮り!(石平氏:福井市 福井藩別邸 松平春嶽)
01:37:05 天皇陛下 来日中のドゥテルテ大統領と御所で懇談
01:53:46 中国が事実上の3原則提示 日米韓関係強化にくさび
大東亜会議・バンドン会議
2017・11・1 ユーチューブ 日本人必見動画!
歴史学者がひた隠しにしてきた「重大な話」をします!【武田邦彦】
「コメント」
ナシ
 
※大日本国帝国を誇れよ! 今以上に世界に貢献したぞ!
誇れよ日本人!
2017・10・28 
【感動】オランダ市長が「私たちは戦争に勝ったのに、実は大敗していた」真実の言葉が・・【海外の反応】【日本に生まれて良かった】
「コメント」
ナシ
アメリカ大統領の靖国参拝と日本人大虐殺の謝罪無しに戦後は終わらず!
2017・10・28 (1/4ページ) JAPAN Forward編集長 内藤泰朗 誰に依頼されたかプロパガンダ記事!
産経ニュース 終戦72年の真珠湾「謝罪の時は終わった」 憎しみから日米希望の同盟に向けた象徴に
「記事内容」
日本軍が75年以上前に奇襲攻撃を仕掛けたハワイの真珠湾はかつて、
  「リメンバー・パールハーバー」が叫ばれ、反日感情が渦巻いていた。
だが、終戦から72年が経ち、
  「ここは日米の希望と未来を示す場所だ」と言われるまでに変貌していた。
米国の日本への敵愾(てきがい)心は、どのように変わったのか-。
奇襲攻撃による犠牲者たちが眠るアリゾナ記念館をこの夏、訪ねた。
  日本人来訪者が倍増  変化した碑文  

  再び緊迫する情勢

中略
  「私は歴史家。安全保障のことはわからない。しかし、この展示は米国が変わったからできた。糾弾したり、謝罪したりする時代は終わった。いまほどに日米が互いを必要としているときはない。この真珠湾が日米関係の新たな時代の象徴となると固く信じ、そう希望している」。
マルティネス氏は、こう語った。
※弱ったアメリカが日本を利用としているだけだろうに・・・
【用語解説】
   真珠湾攻撃

1941年12月8日未明(米国時間7日)、日本海軍機動部隊がハワイの真珠湾軍港(パールハーバー)への奇襲攻撃を行い、大損害を与え、太平洋戦争が勃発。
戦争は45年9月2日、日本の降伏文書調印で終了した。
真珠湾攻撃で撃沈した戦艦アリゾナの上に慰霊施設を含む記念館が62年に建造され、今も毎年100万人以上が訪れている。
 
※大日本帝国の真珠湾攻撃は米軍の軍事施設だけであり、被害者は軍人軍属だけ、民間人はいない。
大日本帝国とアメリカの大きな違いである。
アメリカは己の戦争犯罪を隠す為、身勝手な勝者の理論で東京国際軍事裁判(人種差別によるリンチ)を開廷、嘘で罪を捏造し日本人を罪に問い死刑に処した。
これは単なる殺人であり国際法上も国家犯罪である。
人種差別に立ち向かった大日本帝国はアメリカと大東亜戦争を闘い戦争を戦い抜き負けたが、目的は達成した。
日本人の大和魂は未だ、脈々と引き継がれ生きているのである。
情けないのは日本の心を失い腑抜けた統治機構、統治機構こそ日本に国難を齎す存在なのである。
日本人よ 大東亜戦争に於いて日本人とアメリカ人の軍人軍属と非戦闘員の死亡者数と軍人捕虜の人数を比較して欲しい。
圧倒的に日本人の死亡者数が多いく、捕虜の少なさに驚くだろう。
大日本帝国は外国人捕虜を丁重に扱っている。
アメリカ軍による日本人捕虜の扱いが醜く酷いものである。
この比較が何を意味するのかよく考えて欲しい。
プレスコード!
2017・10・27 ユーチューブ 日本人必見動画!
【衝撃】大東亜戦争と言ってはダメだと!?あるテレビ局の言論統制とは・・【海外の反応】【日本に生まれて良かった】
「コメント」
ナシ
 
※この動画の製作者は民間人だろう、言いたい事はハッキリ表現しろ!
左翼がある日、自ら目覚め転向したからと言えども根は左翼、当然、当てになるものではない。
日本人は嘘や情報操作に注意しろ!

プレスコードはメディアだけが自主的に実施しているのではなく、国内の元締めは反日日本政府である。
田中角栄が日支国交正常化交渉の際、日支間にシナの不利益になる報道を一切しないとの契約が交わされた。
これもプレスコードである。
反日日本政府の後ろに有権者が選んでもしない最高裁判所長官(木っ端役人)が日本政府や政治家、役人、言論人、教育界迄、監視対象になっているのが日本である。
恐れ多いが事だが当然、宮内庁を通して天皇陛下さえ監視対象であろう。

アメリカは今、アメリカを取り戻そうとしているトランプ大統領(保守勢力)と旧政権側(キングメーカーと呼ばれている反日の反トランプであるグローバリストの世界統一派)に分かれ政治の主導権争いをしている真っ最中。
アメリカを一括りに考えてはならない。
日本の戦後体制はグローバリストの世界統一派(守銭奴・共産主義者)により監視されているのである。
情けないが、日本はオバマ政権迄はアメリカとシナ、韓国が仕掛ける嘘の歴史戦に対し正面から史実で立ち向かう勇気さえ持てなかった。
一部の勇気ある日本人を除けば、反論すれば、米支韓から一斉に歴史修正主義者とレッテル(汚名)が貼られる。
この現象を極端に恐れたのである。
トランプ政権になり歴史戦に変化が生じた。
アメリカ人であるテキサス親父とマイケル・ヨン氏により朝鮮人従軍慰安婦(性奴隷)は嘘と大きく報じられている。
トランプ大統領が政権に就いた今、日本政府も少しづつだが、正しく変化している。
日本は憲法を有し主権在民を掲げる民主主義国家と教わるが、大嘘である。
民主主義国家の象徴は選挙だが、選挙こそ国民を騙し欺く大きな手段、政治家が大声で唱える公約を完全に履行した事が一度でもあるのか? 
時代に翻弄された日系ベトナム人
2017・10・16
産経ニュース まだ見ぬ父の祖国へ 元ベトナム残留日本兵の家族が18日初訪日
「記事内容」
第2次大戦後もベトナムにとどまりながら帰国を余儀なくされた元ベトナム残留日本兵の子供たちが、18日から初めて日本を訪れる。
  「タカザワ・ヨシヤ」。
ハノイのカオ・カイン・トゥオンさん(68)の別名だ。
残留日本兵だった父、高沢民也さん(故人)が名付けた。
金沢市の医師だったという父は1945年の日本敗戦後、ホー・チ・ミンらが率いるベトナム独立同盟(ベトミン)に軍医として加わったが、54年、他の日本兵と共に単身での帰国を命じられた。
理由は不明だが、共産主義に傾斜し、中国に接近していたベトナムにとって、日本兵の存在が重荷となっていたことが背景にあるとの見方も出ている。
母のルオン・ティ・ロックさん(93)は夫の帰国後、役所で働きながら4人の子を育てた。
生活は苦しく、帰宅後も縫い物をして家計を支えた。
父の墓の所在や、日本の親族の連絡先は分かっていない。
  「もし場所が分かれば、父の墓前に線香を供え、霊を慰めたい」。トゥオンさんの願いだ。
ソ連の日本人拉致事件・シベリア抑留者の悲劇!
2017・10・7
産経ニュース 旧ソ連抑留死者、新たに53人特定

「記事内容」
厚生労働省は6日、第二次大戦後に旧ソ連に抑留され、シベリア地域と樺太地域などで死亡した日本人計53人を新たに特定し、都道府県別の出身地とともにホームページで公表した。
これで抑留死亡者の特定はシベリア地域(モンゴル地域を含む)で3万9931人、それ以外の地域で986人となった。
公表された53人は次の通り。(漢字の字体は厚労省発表に基づく。敬称略)
  ◇シベリア地域(50人)
 【北海道】小林孝三、笹森一郎、照井初雄
 【岩手県】菊地米藏
 【山形県】大沼勝治、石垣清見、八鍬幸三郎
 【福島県】菊地(池)健太郎、松本政尾
 【茨城県】小島武夫、河田高之助、樫村滿男
 【群馬県】長谷川喜市
 【埼玉県】谷澤一郎
 【千葉県】飯田貞助、小倉武雄、金子歳、柴田佳六、鈴木静一
 【東京都】加藤正雄
 【神奈川県】加藤米吉、志村富郎、猿田政志、古澤好雄
 【新潟県】海津政見
 【富山県】浜與作
 【石川県】上作太郎、川村外次郎
 【福井県】近藤捨吉
 【長野県】斉藤清藏
 【愛知県】家田健介
 【滋賀県】朝日万藏
 【京都府】吉本浮義
 【大阪府】田中三代藏
 【兵庫県】今枝恒士、名田芳文
 【奈良県】亀井奈良造
 【鳥取県】宮脇好男
 【山口県】久芳泰雄、中野利男
 【愛媛県】佐伯收
 【高知県】堀内清喜
 【福岡県】大(太)田順造、林榮一
 【佐賀県】相原利常、井樋良一、中川健一
 【長崎県】西富太郎
 【熊本県】国津理喜雄
 【鹿児島県】仙名時治(春)
 ◇樺太地域など(3人)
 【宮城県】阿部重喜
 【秋田県】大高俊夫
 【富山県】浦山清則
 
※祖国日本に帰りたかったことでしょう!
心よりご冥福をお祈りいたします。

大東亜戦争を歪めた国家戦略なき吉田茂と自民党の罪!
2017・10・3 (1/4ページ) 【正論】
産経ニュース 「大東亜戦争調査会」に学ぶべきは、歴史の教訓を後世に残そうとする強い意思だ 学習院大学学長・井上寿一
「記事内容」
  ≪原因を追究するプロジェクト≫
※人類史上最も人類に貢献した大東亜戦争、栄えある大日本帝国の一部始終を史実として残せ!
今年は日中戦争の起点となった盧溝橋事件の勃発から80年目にあたる。
80年の年月は戦争の相対的な評価には十分な時間の経過である。
しかし今日においてもこの戦争をどう評価すべきか、対立が続いている。
戦争原因の追究は戦争責任の追及と表裏一体の関係にある。
戦争原因の客観的な追究は、戦争責任の主観的な追及に妨げられる。
別の問題もある。日中戦争は満州事変および日米戦争と相互に連関している。
よって前後の歴史的な文脈のなかで評価する必要がある。
敗戦直後の日本には、満州事変から日米戦争までの戦争の原因を客観的に考える試みがあった。
1945(昭和20)年11月、幣原喜重郎内閣は、
  「敗戦の原因及実相調査」を目的とする政府機関「大東亜戦争調査会」(のちに「戦争調査会」と改称)を設置している。
以下ではこの政府機関の活動を通して、戦争の歴史を検証することの意味を考える。
  「大東亜戦争調査会」は、敗戦国の政府が自立的に戦争の原因を追究する国家プロジェクトとして、始まる。
40回以上に及ぶ会議における議論、当事者インタビュー、資料収集と現地調査、これらによって「大東亜戦争調査会」は、政治・外交・軍事・経済・思想・文化などの多角的な視点から戦争原因の追究を進める。
  ≪資料から分かった3つの議論≫
  ≪歴史検証に耐え得る政策を≫
※今の反日売国自民党は不可能! 今回が日本を取り戻す切欠が希望党、日本人は将来、日本人を騙さない保守政党の出現を待ち望んでいる。
敗戦時、中央官庁街から公文書を焼却する煙が立ち上りながら、ほどなくして「大東亜戦争調査会」が発足したことは、記憶されてよいだろう。
国家は時に不都合な秘密を隠そうとする。
また別の時には秘密を公開しようとする。
敗戦国日本もそうだった。
今日の国家も同様である。
一国の政府は、のちの世代による歴史的な検証に耐え得る政策を立案し実施しなければならない。
それには政策の形成から実施に至る過程が分かる資料を残すべきである。
公文書管理の問題が論じられている。
内閣府の公文書管理委員会は
  「行政文書の管理に関するガイドライン」の見直しを進めている。
  「歴史公文書」の範囲が明確になり、1年未満の行政文書の取り扱いも「ガイドライン」に位置づけられるだろう。
政府は内閣官房に
  「行政文書の管理の在り方等に関する検討チーム」を設置し、
  「現在及び将来の国民への説明責任を全うする観点から」、各行政機関が採るべき方策を取りまとめた。
公文書管理体制は改善に向かっている。
  「戦争調査会」に学ぶべきは、歴史の教訓を後世に残そうとする強い意思である。
 
※敗戦後、日本人に嘘を強制したのか? 吉田茂と三流の役人だが、未だに敗戦利得者として彼等が日本の政治を歪めているのが日本! 吉田茂を讃える説があるが、史実を調べれば売国奴、故に日本政府はプロパガンダを実行し嘘を日本人に強制したのであろう。
序でに嘘つき安倍総理・岸、佐藤一族の闇も暴け!(シナと朝鮮半島、麻薬ビジネス、統一教会・文鮮明)

  参考
   大東亜戦争審査会
この世界の片隅に
2017・9・27 (1/4ページ) 【銀幕裏の声】
産経WEST 呉軍港空襲の生還者(上)“日本海軍の最後”を見た元海軍兵の証言 アニメ「この世界の片隅に」で描かれた地獄絵図とは
「記事抜粋」
第二次世界大戦末期、広島県呉市の呉軍港は米軍による大空襲に見舞われた。昨年公開され、ロングランヒット中のアニメ映画
  「この世界の片隅に」ではこの呉軍港空襲が克明に描かれる。
  「戦艦『伊勢』や空母『天城』などが次々と目の前で撃沈していきました…」。
元海軍の山本重光さん(92)は当時、通信兵として空母「鳳翔(ほうしょう)」に乗艦。
停泊中の軍艦がほぼ壊滅する中、鳳翔が奇跡的に空襲を免れた理由を山本さんは
  「江田島の住民が迷彩シートなどで擬装してくれたおかげです」と語った。
擬装とは軍艦を島のように見せかけ敵機の目を欺くこと。
山本さんは一命を取り留めたが、目撃した光景は
  「空一面が炎と煙で覆われた地獄絵図だった」と振り返る。
92歳にして初めて取材で語る証言はあまりにも衝撃的な内容だった。(戸津井康之)
  呉軍港の惨劇  世界が恐れた空母「鳳翔」の真意!?  為す術のない撃沈  最後の抵抗を知る電信
中略 
一命を取り留めた喜びなど微塵(みじん)も感じなかった。山本さんはただ呆然(ぼうぜん)とし、電信任務をこなしていた。
無念の涙はとまらなかった。   =つづく
終戦後、日本人を利用したシナ共産党
2017・9・20 (1/3ページ) 植木裕香子 【日中国交正常化45年】 功を焦った馬鹿な田中角栄が屈辱外交を開始し、シナの脅威を齎して既に45年である!
産経ニュース 「命の重みはみな同じ」 戦後も中国に「留用」された日本人看護師、横内芳江さん
「記事抜粋」
先の大戦中、従軍看護師として旧満州に渡り、終戦後は中国共産党軍の看護師として徴用された東京都葛飾区南水元に住む横内芳江さん(93)。
日本と中国が国交断絶した影響などもあり、約10年間、帰国がかなわなかった。
日中国交正常化から今月で45年。
両国民の命を救ってきた横内さんは
  「命の重みはみな同じ。今後も両国の友好関係が続くことを願っている」と訴える。
※日本人とシナ人の命の重さは間違いなく大きく違うが、しかし、日本政府は未だ、シナ大陸に残された日本人の遺骨取集すらしていない。
反日日本政府とシナ共産党の命の重さは軽く同じなのかも知れない。

長野県出身で大正13年生まれ。
満州事変に日中戦争…と生まれて間もない頃から「戦争」が身近にあった。
だが、兵士として戦地に送られ、たたえられるのは男性ばかり。
  「女性でも軍隊に入ってお国のために役に立ちたい」と、15歳の時に従軍看護師になることを決めた。
看護学校を卒業後の昭和18年に赴任したのは、満州の「琿春(こんしゅん)陸軍病院」。
主に、付近に駐屯中の兵士らが演習などで負傷した際の治療にあたった。
忙しいながらも充実した日々を送るなか、迎えた20年8月15日。
日本の敗戦が決まると状況は一変する。
看護師長からは
  「ソ連が攻め込むかもしれない。いざという時に服用するように」と青酸カリを渡され、「死」を覚悟した。
院内には旧ソ連兵が乱入し、天井に向けて発砲しながら次々と日本人から時計などを脅し取った。
自身も、母親が織ってくれた着物を奪われた。
日本兵がソ連兵に連行される姿も目にした。
  「あのままシベリアへ抑留されたのかもしれない」。
翌年、中国東北部の延吉の病院に移ると、亡くなった日本兵の死体の処理に明け暮れた。
最初は遺体に白い着物を着せて棺の中に入れた。
だが、数が増えると裸のまま防空壕(ごう)にほうり込むようになった。
  「人の命の重みなんて考える余裕もなかった。今、その遺骨はどうなっているんだろう」。※遺骨収集さえしていない愚かな日本政府!
あの時のことは忘れたことはない。
日本人の患者がいなくなっても、帰国することはかなわなかった。
戦後、中国国内では共産党と国民党による内戦も始まり、横内さんは八路軍(当時の共産党軍の呼び名)の看護師として徴用されたからだ。
配属された北京方面の野戦病院付近では、日本人の神主が殺害されたとの情報が飛び交い、夜になると、太鼓をたたいて日本の敗戦を祝う周辺住民の声が響き渡って怖い思いもした。
それでも、日本人患者と同様に、中国人患者に献身的な看護を続けた。
日中間の国交は回復していなかったが、33年に帰国が実現。
そのころには、中国人宅に寝泊まりし、ご飯もごちそうになるまでの関係を築いた。
  「辛苦了(ご苦労さま)」とねぎらいの言葉をかけられる機会も増えた。
中国での貢献が認められ、数年前からは港区元麻布の中国大使館で開催される中国人民解放軍建軍を祝う式典にも招かれ、高価な記念品も受け取っている。
  「医療の現場では看護技術の善しあしがものをいう。命の重みに国籍は関係ない。若い世代に私の思いを伝え続けるためにも、日本と中国の関係が良好であってほしい」。
祈りを込めて訴えた。
 
※シナが共産党一党独裁であり続ける限り、横内芳江さんの夢は決して叶うまい。
大東亜戦争・太平洋戦争(嘘)と記すな! 正義は大日本帝国に有り!
2017・9・17 歴史街道 日本人必見記事!
元陸軍中将、B級戦犯・岡田資の処刑~今日は何の日
2017・9・17 ユーチューブ 
さすが大日本帝国軍人! 日本人必見動画!
【感動 泣ける】驚愕!日本空襲は無差別攻撃であることを認めさせた漢がいた!【海外の反応】【日本に生まれて良かった】  (2)
「記事内容」
  昭和24年9月17日
昭和24年(1949)9月17日、岡田資(たすく)が処刑されました。
元陸軍中将で、戦争裁判を「一方的な裁きである」として、法廷で徹底的に戦った人物です。
藤田まこと主演で『明日への遺言』という映画になりましたが、岡田資の名は、今では知る人は少ないかもしれません。
しかし、そのリーダーとしての姿勢、人間としての生き方は、ぜひ知っておいて頂きたい人物です。
明治23年(1890)、岡田は鳥取に生まれます。
明治44年(1911)、陸軍士官学校を卒業(23期)、大正11年(1922)には33歳で陸軍大学校を卒業。
大正14年(1925)にはイギリス大使館付武官補佐官として、ロンドンに2年半駐在しました。
昭和5年(1930)には41歳で秩父宮雍仁(やすひと)親王付侍従武官を務めます。
昭和13年(1938)、49歳で歩兵第八旅団長となり、武漢三鎮攻略戦に参加。
非常に部下思いの指揮官であったようです。
太平洋戦争が始まる昭和16年(1941)、52歳で陸軍中将となりました。
戦車第二師団長、東海軍需管理部長などを歴任、内地にいたため、戦闘指揮での活躍譚などはありません。
昭和20年(1945)には第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官に就任しました。
さて、その年の5月14日のことです。
岡田が司令官を務める東海軍管区の名古屋市が486機ものB29によって絨毯爆撃され、市街の8割が焼失しました。
一方、対空砲で撃墜されたB29から搭乗員11人が脱出し、彼らは捕らわれます。
そして1カ月半後、11人は略式手続きを経て処刑されました。
その後も東海軍管区内で空襲が繰り返され、名古屋の一般市民の死者は、およそ8000人にのぼります。
一方、撃墜され捕獲された米兵は処刑され、その数は38人を数えました。
戦後、岡田の東海軍管区で行なわれた略式手続きによる米兵の処刑は、正式な審理を経ていない不当なものであるとして、岡田と部下の計20人はB級戦犯として起訴されます。
昭和23年(1948)3月、岡田とその部下の裁判が横浜地方裁判所で開廷しました。
検察側は、「略式手続きは正当な審理といえず、米兵の処刑は殺人にあたる」と主張します。
一方、弁護団は「処刑された搭乗員はジュネーブ条約の規定する捕虜ではなく、名古屋地区に無差別爆撃を行なった戦争犯罪人である」と主張しました。
というのも大正12年(1923)、オランダのハーグで米英仏蘭伊日の会合が持たれ、「爆撃は軍事目標に対して行なわれた時のみ適法とする」という宣言がなされていたからです。
尋問が始まっても、岡田は略式手続きの正当性と、名古屋地区への爆撃は無差別のものであり、搭乗員を戦争犯罪人として扱ったのは正しいと主張、検察側と堂々と渡り合いました。
岡田はこう語っています。
  「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何もかも悪いことは皆敗戦国が負うのか? 何ゆえ堂々と世界環視のうちに国家の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりしことを明らかにしようとしないのか?」
  「要人にしていたずらに勇気を欠きて死を急ぎ、或いは責任の存在を弁明するに汲々として、武人の嗜みを捨て生に執着する等、真に暗然たらしめらるるものがある」
敗れたからといって、すべての非を押し付けられても仕方がないというのではないはずだ。
責任ある立場にある者こそ、主張すべきことは断固主張すべきであると、岡田は言っているのです。
岡田の理路整然とした主張で、
  「岡田は無罪」の空気が醸成されました。
一方、米兵の処刑を行なった部下は罪に問われる見通しになると、岡田は検察側すら驚く発言を行ないます。
  「司令官は、その部下が行なったすべてについて、唯一の責任者です」
岡田は法廷で主張すべきことは主張しましたが、それは自分の無罪を勝ち取るためではありませんでした。
実は自分の主張を認めさせた上で、その自分が全責任を負うことによって、部下全員の減刑を図ることにこそ狙いがあったのです。
その岡田の意図は、法廷にいた全員が悟りました。
岡田の奮闘の甲斐あって、部下たちは有罪にはなったものの、全員が死刑を免れます。
すべてを岡田が一人で背負ったのでした。
岡田の一命を賭した堂々たる姿勢は、裁判官や検察官たちをも感銘させました。
彼らは時に明らかに岡田に有利な質問をし、助命の可能性を探りますが、岡田本人は全責任を自分が取るという姿勢を最後まで貫くのです。
また岡田は
  「世界民族の為」として、無差別爆撃を廃止すべく、国際法の修正を訴えました。
日頃、熱心な日蓮宗の信者であった岡田は、平和を希求する心が強く、その点をとっても本来、処刑されるような人ではないのです。
しかし彼は己の命で責任を果たすのです。
岡田の処刑にあたり、秩父宮をはじめ、法廷の裁判官や検察官からすら減刑嘆願が出ますが、当人が全責任を取る覚悟であるため刑は覆らず、絞首刑が言い渡されます。
その時、岡田はひと言「本望である」と応えました。
昭和24年9月17日、岡田は巣鴨で従容として処刑に臨みました。
享年60。 リーダーの責任とはどれほどの重さのものなのか、また責任を取るとはどういうことなのか、岡田の背中が雄弁に物語っているように感じられないでしょうか。
 
※嘘つき安倍総理よ、岡田資の爪の垢でも煎じて飲めよ! これが日本人、大和民族の誇りである。
  (2)
「コメント」
ナシ
 
※今の国際政治は武器を使わない戦争である。
日本の政治家と木っ端役人共は一命を賭して、天皇陛下や日本国、日本人の名誉を守る気があるのだろうか?
それは絶対にない!

検証・大東亜戦争
2017・9・11 DHCTV
『ニュース女子』 #123 (大東亜戦争・陰謀論・もしも〇〇が)
2017・9・4 DHCTV
『ニュース女子』 #122 (戦後と左翼・日本のタブー・怒りのニュース)  (2)
「放送内容」
  ①「大東亜戦争は侵略戦争だったのか」
  ②「陰謀論」
  ③「もしも〇〇が△△になったら」
 MC:長谷川幸洋(東京中日新聞論説委員)  西川史子(医師)  藤井厳喜(ジャーナリスト)  末延吉正(ジャーナリスト)
 井上和彦(軍事ジャーナリスト)  須田慎一郎(経済ジャーナリスト)  上念司(経済評論家)  原英史(政策コンサルタント)
 杉原杏璃(タレント)  脊山麻理子(フリーアナウンサー)  重盛さと美(タレント)  西田藍(書評アイドル)
 
※長谷川幸洋は保守面しているが根は左翼、左翼らしい発言を繰り返している。(要注意人物)
  (2)
「放送内容」

  ①「戦後と左翼」
  ②「日本のタブー」
  ③「怒りのニュース」
 MC:長谷川幸洋(東京中日新聞論説委員)  西川史子(医師)  藤井厳喜(国際問題アナリスト・評論家)
 末延吉正(ジャーナリスト)  須田慎一郎(経済ジャーナリスト)  岸博幸(元経済産業相官僚)
 原英史(政策コンサルタント)  筆坂秀世(政治評論家)  吉木りさ(タレント)  八田亜矢子(タレント)
 眞鍋由佳  佐藤美和
中島発動機!
2017・9・5 (1/4ページ) 住谷早紀 【幻の富嶽 掃射機設計図見つかる(下)】
産経ニュース 東条内閣が総辞職…製造中止命令 見果てぬ夢「戦争が終われば平和の飛行機に」
「記事抜粋」
  「全長45メートル、全幅65メートル、全備重量175トン。5千馬力の発動機を6機搭載。高度1万メートルを時速680キロで航行し、航続距離1万6千キロ。爆弾積載量約20トン」
昭和18年1月、米軍が進めるB36爆撃機とほぼ同じ性能を持つ
  「空の要塞」を構想した中島飛行機創業者の飛行機王・中島知久平。
  「Z機」と名付け爆撃機、掃射機、輸送機などによる編隊攻撃で米本土の軍需工場をたたかなければ日本の勝機はない。
強い危機感からだった。
  「隼」や「鍾馗(しょうき)」などの名機を作ってきた同社の有能な技術者たちも壮大さに息をのんだ。
実現可能性調査を経て昼夜問わずの突貫工事で設計に当たった。
  試作機正式採用も  
  航空戦時代を予言※大日本帝国の勝ぷりに驚愕! 戦略転換が早かったアメリカ!
  幻の機体、空を舞う
中略
旅客機の設計図は実在しないが、Z計画を技術者に説明した知久平は富嶽の未来も語ったという。
  「この爆撃機は戦争が終わったら旅客機になる。平和の飛行機になる。それに乗って世界を周遊しよう」。
日本の難局打開のためのZ計画だったが、知久平は、その先に平和を見ていた。
  「飛ばそう会」は知久平の遺志を継ぎ、2つあった輸送機の設計図のうちの1つを“旅客機”とした。
ラジコンは展示会にも出展され幅広く活動しているが、見つかった掃射機のラジコンを作るかどうかは未定という。
同会事務局の西正裕さん(80)は
  「会員の高齢化で製作が困難になった。一緒に活動してくれる飛行機好きな若い人がいれば」と期待を寄せている。
  ■中島知久平
(1884~1949) 群馬県尾島町の農家に生まれ、尋常高等小学校卒業後、海軍に入隊。
まだ木製だった飛行機が将来「国防上、最重要になる」と見抜き飛行機工場長に。海軍初の制式機を設計するなどの業績を残し大正6年退役。
中島飛行機を興し戦史に残る数々の名機を建造し一大企業に育て上げた。
 
※大分ではよく知られた中島発動機だが、昭和50年代まで工場跡地が残されていた。
今は既に宅地となり、面影さえない。
シナが所蔵・非売品「神鷲」
2017・9・4
産経ニュース 特攻隊題材、武田泰淳の「神鷲」上海で発見
「記事内容」
戦後派文学を代表する作家で、小説「ひかりごけ」で知られる武田泰淳(1912~76年)が、日中戦争末期の中国・上海で執筆した作品があることが、分かった。
神風特攻隊を題材としており、奈良大の木田隆文准教授(日本近代文学)が、上海図書館所蔵の書籍
  「神鷲」に掲載されていたのを確認した。
書籍「神鷲」は非売品で、昭和20年4月に刊行。戦意高揚を目的に、現地紙などが特攻隊をテーマにした短歌や俳句を募集し、その入選作をまとめた。
当時、上海の「中日文化協会」で翻訳の仕事に携わっていた武田は同書の編集委員を務めており、書籍と同名の
  「神鷲」というタイトルで約900文字の文章を寄稿。
文中で
  「神鷲(特攻隊)は徹底して無欲である」
  「実におどろくべき科学的正確さで『死』行為を遂行した」と書いていた。
一方、作品の末尾で特攻隊について感得するには、報道や宣伝は必要ないとも記した。
木田准教授は
  「この書籍の必要性を否定しており、軍への協力を装いながら、翼賛的な目的を脱却させようとしたのではないか」と分析。
 
※シナが崩壊すれば、消えるのであろう。
これが日台の基本・日本人と旧日本人・台湾人の心温まる交流!
2016・9・1 ユーチューブ
海外 感動「私が命の次に大切にしているもの」70年間秘められてきた歴史 日本海軍から台湾人女性への愛【海外の反応】
「コメント」
昭和20年台湾に駐屯していた日本海軍が現地の女性に残した写真と手紙の数々に涙…。
祖母が
  「私が命の次に大切にしているもの」と見せてくれた写真とノートに感動!
ある日祖母の家で、約70年前にもらった仲間からの手紙を見つけました。
おばあちゃんは台湾人。
名前は「春草」といいます。
春草さんはその当時、台湾の船の保守点検・修理を行なう施設で働いていました。
そこの施設で働いていた春草さんは、最年少で唯一の台湾人でした。
日本海軍の駐屯兵は台湾から引き揚げることになりました。
日本へ帰国するために別れるその日、日本の仲間から手紙や写真を沢山うけとりました。
春草さんは、命の次に大切なものとして、ずっと保管していたのです。
貴重な写真に手紙、そして約70年の時を経て届いたメッセージ。
1人だけ台湾人であったにもかかわらず、皆から愛をもらっていたことが伺い知れます。
台湾は親日国だと言われますが、日本を好きな理由は、こういった愛の積み重ねなのかもしれません。
 
※大日本帝国は台湾同様大韓帝国併合後、発展に努力し仲良く暮らしていたが、大東亜戦争が折らると朝鮮人は日本人を裏切った。
一部のシナ人はシナ大陸ではぐれた日本人孤児を育ててくれたが、やはり日本人を裏切った。
台湾人は日本人によく似ているが、朝鮮人とシナ人は人間の質が大違いである。
嘘つき安倍総理は今、多くのシナ人を国費丸抱えで留学させているが、彼等は必ず日本国を裏切るだろう。
嘘つき安倍総理がトランプ大統領に靖国参拝を進言、出来る訳が無い!
2017・8・30 DHCTV

「放送内容」
馬渕睦夫「和の国の明日を造る」
毎週水曜日に収録現場から生放送!
3週にわたり「和の国の明日を造る」は夏休み特別編を放送!
夏に相応しいテーマを馬渕大使に語っていただきます
今週は第三回目!テーマは「終戦と靖国神社」
夏休み特別編は質疑応答なしの短編となります
  ※馬渕大使は夏休み期間のため放送は録画生放送です。
外交官として世界各国を見て来た馬渕睦夫元大使が語る“日本温故知新”―。
「日本人であることの意味」を振り返り、日本の未来を指し示します。
  【2017年8月30日(水)20:00〜21:00】
  第62回『夏休み特別編 第三回』
 ・テーマ:「終戦と靖国神社」
  出演:馬渕睦夫
<プロフィール>
元駐ウクライナ大使兼モルドバ大使 元防衛大学校教授。 1946年京都府に生まれ。
DHCテレビでは『世界を知れば日本がわかる』『外交虎の穴』監修・出演、『やらまいか―真相はこうだ!』に出演。
馬渕睦夫「和の国の明日を造る」のブログを開設致しました。
http://ameblo.jp/wanokuni-mabuchi/
大使に関わる情報や、放送内容をまとめた記事・ウラ話など
より番組を楽しんでいただけるよう随時記事をアップしていきます。
 
※日本政府は未だに教科書に近現代の嘘歴史を記述し日本人を洗脳し続けていることからして、反日と断定しても過言ではあるまい。
嘘つき安倍総理はアメリカのキングメーカー(国際金融資本+軍産複合体)が恐ろしいのである。
もしや、ナチによるユダヤ人大虐殺600万人と言われているが、相当少ない人数の可能性がある。
五島沖・大日本帝国海軍の潜水艦発見
2017・8・27 (1/2ページ)
産経ニュース 「伊58」元乗組員「何とも言いようない」「桜の枝、結んであったら…」 潜水艦撮影に複雑な思い吐露

2017・8・8 チャンネル桜
【日本海軍】「海底に突き刺さる潜水艦は伊58潜水艦か?-五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の調査」講演会[桜H29/8/9] (2)

「記事抜粋」
浦環九州工業大特別教授らの調査により、長崎県の五島列島沖の海底で旧日本軍の
  「伊58」とみられる潜水艦が撮影された。
70年以上の時を経て再び見る姿に、当時艦内で死を賭して戦った元乗組員たちは「何とも言いようのない気持ち」などと複雑な心持ちを語った。
橋本以行(もちつら)艦長のそばで仕えた京都市の中村松弥さん(91)は、同艦に搭載された特攻兵器、人間魚雷「回天」の搭乗員に対する出撃の伝令も担った。
橋本艦長の「最期に言うことはないか」との問いに対し、搭乗員たちは「長らくお世話になりました」「後続の者をよろしく頼みます」と“最期の言葉”を述べたのを覚えている。
現在も「皆さんのおかげで今日も生きています」という気持ちを込め、毎日手を合わせて冥福を祈っているという。
伊58の処分の際、潜望鏡に桜の枝が飾り付けられたと聞いた。
  「桜の枝が結んであったら、『58』かと思う。木っ端みじんにならずに残っていた誇りは感じるが、今さら見つかっても、という気持ちもある」と複雑な心境をのぞかせた。
16歳で同艦に乗り込んだ愛媛県松前町の清積(きよづみ)勲四郎さん(89)は、広島に投下された原爆の部品を運んだ米巡洋艦
  「インディアナポリス」に対する攻撃時、艦の浮沈を調節するバルブの開閉を手伝う要員として活動した。
  「死ぬのは当たり前。負けてたまるかという気持ちが強く、恐怖はなかった」と振り返る。
撃沈したインディアナポリスの船体が今月19日に発見されたと発表があったのに続き、“古巣”の変わり果てた姿を目にすることになった。
  「当時のことを思い出す。何とも言いようのない気持ちだ」。
さまざまな感情が入り交じるとした上で、
  「『とにかく戦争は絶対にいかん』という、それしか言葉が見つからない」と声を詰まらせた。
  (2)詳しく解説、動画をご覧あれ!
どうせやるなら、アメリカの戦争犯罪の証拠となる資料写真を探せ!
2017・8・25 谷田智恒 【戦後72年】
産経ニュース 煙を上げる建物など鮮明に…旧陸軍菊池飛行場への「空襲写真」見つかった
「記事内容」
昭和20年5月、米軍機が熊本県菊池市にあった旧陸軍菊池飛行場を襲撃した際に撮影した航空写真2枚が、米国立公文書館で確認された。
市民団体
  「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」事務局長の工藤洋三氏(73)=山口県周南市=が発見した。
煙を上げる建物などが鮮明に写っていたという。
工藤氏は徳山工業高等専門学の元教授で、空襲・戦災に関する研究を続ける。
毎年3~4月に米ワシントンにある国立公文書館を訪れ、資料を精査している。
2枚の写真は今春、同公文書館所蔵の米海軍の軽空母「バターン」の戦闘報告書の冊子から発見した。
菊池飛行場は、大戦末期の沖縄戦で、特攻隊の中継基地となっていた。
これに対し米軍は、空襲の実行を決定した。
日向灘沖に停泊したバターンの艦載機などが使われた。
空襲で飛行場は壊滅的な被害を受け、少なくとも30人以上が死亡したとされている。
見つかった写真は20年5月13、14日に艦載機のカメラで撮影された。
工藤氏は、熊本県内の戦争遺跡の保存に取り組む
  「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」(玉名市)に連絡。
同ネットワークが、県内に残る資料などを基に、写真を分析した。
中略
同ネットワークは今回の写真を、今月27日から熊本市立城南図書館(南区)で開かれる
  「絵本・玩具から見た戦争」の会場で公開する。
9月29日まで。
入場無料。問い合わせは同ネットワーク事務局(電話0968・74・5030)。
 
※趣味であれば、勝手にやりなさい。
もの凄い日本人パイロット
2017・8・23 ユーチューブ
【感動 泣ける】何と16機のB24に、たった1機の97式艦上攻撃機で挑んだ大和魂とは・・【海外の反応】【日本に生まれて良かった】
「コメント」
ナシ
 
※日本は多くの嘘が存在しているが、日本人は世界の人々の手本となれる大和民族!
今はネット社会に変わり、大日本帝国の史実が明らかにされ続けている日本、日本人は事実を知りさえすれば、日本人自ら誇りを取りり戻すと大いに期待している。
若者よ、日本から嘘を無くせ!
 
ゼロ戦秘話!
2017・8・22 (1/2ページ) 作家、将口泰浩 【終戦72年】
産経ニュース 零戦に残された5枚の名札 真珠湾攻撃参加 空母「飛龍」の乗組員か
「記事抜粋」
昭和16(1941)年、ハワイの真珠湾攻撃に参加し、ニイハウ島で死亡した零戦搭乗員、西開地重徳(にしかいち・しげのり)1飛曹の機内に残されていた5枚の名札がハワイから遺族に返還された。
発艦した空母「飛龍」の乗組員のものとみられ、西開地1飛曹の弟、良忠さん(87)=愛媛県今治市=は「一刻も早く持ち主の元にお返ししたい」と話している。
西開地1飛曹は昭和16年12月7日午前6時半、「飛龍」の第2次攻撃隊としてオアフ島カネオヘ基地を攻撃後、被弾しニイハウ島に不時着する。
ニイハウ島は現在までもロビンソン家の私的所有で許可なく立ち入りができない。
作戦の事前取り決めで飛行不能になった機は白人が居住していないとみられていたニイハウ島に不時着し、潜水艦による救助を待つことが決められていた。
島民に発見された西開地1飛曹は暗号表などの書類や拳銃を奪われ拘束される。
島で働いていた日系2世の原田義雄さんが西開地1飛曹を救助するため、島民に抵抗し逃亡。
2人は奪われた書類と拳銃を奪い返そうとしていた。
しかし13日朝、西開地1飛曹は島民に殺害され、匿っていた原田さんは散弾銃で自殺する。
事件後、原田さんの妻、梅乃さんは
  「傷ついた者を救助するのは当然の行為」と主張するも、国家反逆罪で逮捕され、収監される。
収容所を出たのは31カ月後だった。
現在、西開地機の残骸はハワイ真珠湾の
  「太平洋航空博物館」に展示されており、館長のケネフ・デホフ氏が6月22日、名札を返還するために今治の良忠さんを訪問した。
つづく
               ◇
  「極秘司令 皇統護持作戦 我ら、死よりも重き任務に奉ず」(将口泰浩著、徳間書店、本体価格1600円)発売中。
反日日本政府の兵士への仕打ちを忘れるな! (一向に進まぬ遺骨収集)
2017・8・21 (1/5ページ) 社会部 天野健作 【戦後72年】
産経ニュース 「日本兵は強く、紳士的だった」 寄せ書き日の丸返還の93歳元米兵ストロンボさんの“日本愛”に称賛・感動
「記事抜粋」
長年の苦悩を背負い続けた元米兵は、約束を果たした安堵(あんど)からか、慈愛に満ちた表情に変わっていた。
米西部モンタナ州に住む元海兵隊員、マービン・ストロンボさん(93)。
  「必ず家族の元に返す」。
先の大戦の戦地サイパン島で、日本兵の遺体から日章旗(寄せ書き日の丸)を持ち帰り、73年の時を経て初来日し、願いをかなえた。
遺骨や遺灰もなかった遺族は、帰ってきた日章旗を「宝」と呼び、むせび泣いた。
「73年後の奇跡」のニュースへの反響も大きい。
  狙撃兵として激戦地へ  「兄のにおいがする」
  読者からの手紙
このニュースには称賛の声が相次いだ。
ネットでは
  「93歳を国賓で迎えろ」「互いに命をかけたものでしか分からない世界」などと好意的な意見が並ぶ。
  「戦争したことのない韓国がアレなんだもんな」と、何度も過去を持ち出し日本に対し“歴史戦”を挑む韓国を揶揄(やゆ)する意見もあった。
   《(記事を)読むと胸がいっぱいに。日章旗は無形英霊と思います。心からストロンボさまのご苦労と平和の友情に感動して感謝します》
東京都練馬区の徳永光さん(59)は産経新聞にこのような手紙を寄せた。
手紙は
  《慈愛和平の心境は大切です》とした上で、
  《長年の約束を守ってお疲れさま》とするストロンボさんへのはがきも託した。
約束を果たし、帰国直前に取材に応じたストロンボさんは17日、
  「ようやく旗を返すことができてすばらしい気持ち。正しいことができたのだと感じた。少しも後悔する事はない」と言い切った。
そして
  「戦争中は敵同士だったが、戦時中でも私は日本兵に対して一定の敬意を持っていた。日本兵は強く戦い、忍耐深く、戦い方が非常に紳士的だった」と語った。
旗の橋渡しをしたオボンソサエティの共同代表、敬子・ジークさん(49)=米オレゴン州在住=は
  「こんなに奇跡的なことは最初で最後かも。退役軍人で健在な人もいるが、来日されるまでの方はいないでしょう」と話していた。
               ◇
寄せ書き日の丸 先の大戦では出征にあたり、家族や知人らが武運長久を祈って日章旗に署名やメッセージを寄せ書きし、多くの日本の将兵は受け取った日章旗を肌身離さず身に着けて戦地へ赴いた。
一方、連合軍の将兵らは戦火に倒れた日本の将兵が持っていた日章旗を戦利品として入手。
故郷へ持ち帰った。
その後、日章旗の返還を希望する旧将兵やその遺族が出てくる一方、近年は国内外のインターネットオークションで売買されるケースも増加、問題となっている。」 
 
※寄せ書きがある日朝旗を戦利品として持ち帰ったアメリカ兵・ストロンボさん、日の丸を眺める度、日の丸が重荷と感じつつ俺も93歳、命ある今、日本の家族に返し、背負う重荷を下ろそうと考えたのであろう。
ありがとう! 敵ながら天晴れ!
大東亜戦争は未だ、終わっていない。
驚愕・アメリカ軍・日本人大虐殺実行プラン!(戦争犯罪)
2017・8・19 ユーチューブ
「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」①NHKドキュメンタリーBSスペシャル20170813

2017・8・19 ユーチューブ
「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」②NHKドキュメンタリーBSスペシャル20170813  (2)
「コメント」
ナシ
 ※アメリカ政府は今、情報が次々に公開される中、大東亜戦争に於けるアメリカの多くの戦争犯罪が暴かれるに違いないと考えている。
アメリカは大東亜戦争の情報が公開される前に、日本を徹底的に貶め悪者にしておかなければ、アメリカが指導した東京国際軍事裁判(リンチ)の根拠が崩れる可能性があり都合が悪いのである。
GHQは懸念していたのである。
そこで、在日朝鮮人を利用したのである。
戦後直後の朝鮮人の蛮行を考えればGHQの狙いは明白である。
世界の反日活動はアメリカが主導し連合国側(イギリス・フランス・オランダ・ドイツ)と朝鮮に指示したのである。
戦勝国は勿論、朝鮮半島は当時大日本帝国にも拘わらず、李承晩に反日に舵を切らせ、大韓民国は竹島を編入し侵略した。
朝鮮半島は分割されたにも拘らず北朝鮮は日本人多数を拉致した。
シナ共産党は建国の嘘歴史を隠す為、反日を利用し続けている。
日本政府もターゲットになった。
優秀な役人を公職から追放し馬鹿な反日勢力が大手を振る時代が続き今尚反日日本政府が続いている。
反日日本政府に続く反日地方自治体や真っ赤な東大始め教育界、反日メディアが存在しているのである。
時代はネット社会が到来、多くの嘘がバレ始めているのが日本の今である。
硫黄島! 大日本帝国軍兵士に感謝!
2017・8・16 ユーチューブ
【実録映像】硫黄島の戦 い、日本の激烈抵抗(涙なしには見られない)
「コメント」
集中砲  火により真っ黒になった硫黄島で栗林大将以下約2万の日本 兵は必死の抵抗を見せ、当初5日で陥落を予定していたアメリカに対して1か月以上抵抗、6千名以上のアメリカ側し傷者を出した。
万歳突 撃を禁じ、最後までゲ りラ戦を展開した日本はほぼ全 滅。
硫黄島の戦 い(いおうとうのたたかい、いおうじまのたたかい1945年2月19日 - 1945年3月26日)は、太平洋 戦 争(大東 亜戦 争)末期に東京都硫黄島村に属する小笠原諸島の硫黄島において日本とアメリカとの間で行われた戦 いである。
 ※太平洋戦争と記さないでくれ! 大日本帝国が戦った大東亜戦争の硫黄島戦、祖国の為に戦った皇軍兵は捕虜の道を選ばず玉砕した!
大和魂を誇れよ、日本人!
大東亜戦争
2017・8・10
特別番組「コミンテルンの謀略と日本の敗戦~第2回朝日新聞の手の内をバラす!」江崎道朗 上念司【チャンネルくらら・8月10日配信】
2017・8・17 チャンネルくらら
特別番組「コミンテルンの謀略と日本の敗戦~第3回経済政策の誤りが国を滅ぼす!」江崎道朗 倉山満【チャンネルくらら・8月17日配信】
2017・8・20 チャンネルくらら
特別番組「コミンテルンの謀略と日本の敗戦~第4回 世界を壊したウッドロウ・ウィルソン」江崎道朗 倉山満【チャンネルくらら・8月20日配信】
「放送内容」
 ★8月11日新発売!PHP新書第1位!全体33位!
『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』 (PHP新書)江崎 道朗 : http://amzn.asia/54QL2JS
  (2)
「放送内容」

 ★お陰様で重版決定しました!!AmazonPHP新書1位!
コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)
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  (3)
「放送内容」

 ★お陰様で重版決定しました!!AmazonPHP新書1位!
コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)
江崎 道朗 : http://amzn.asia/4QmG2M6
 ●ウッドロウ・ウィルソンの作った第一次大戦後の世界秩序が、その後、レーニンや毛沢東を生み出していく・・ 
 
北岡伸一!第二次嘘つき安倍内閣の時、己の出世の為に日本人を裏切った人物。
NHKのナレーションは捏造だろう!
2017・8・14 ユーチューブ
樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇 【反日NHK】 NHKスペシャル20170814
「コメント」
  「終戦後に戦った」とやたらと強調していますが、なぜ米国に降伏した事がソ連にも降伏した事になるのか理解できません。
攻めて来るのに戦わないという選択肢があったでしょうか。
南樺太は日本が合法的に入手した領土です。
国境最前線でありながら日ソ不可侵条約があったため守りも手薄でした。
武器弾薬が少なかったのはそういう背景があったでしょう。
そもそもソ連の一方的な条約破棄が悪質であり、糾弾されるべきものです。
血税と受信料を投入されているNHKが糾弾しないばかりか背景を何も語らず、ただ戦闘行為だけを切り取って
  「無意味だった」と結論付けることに強い憤りと危機感を覚えます。
北方領土交渉は未だ道半ば。
ソ連侵攻の背景を語らない事は国民を盲目にすることです。
  「上陸してきたソビエト兵には戦う姿勢は全く見られなかった」・・すべてのソ連兵がそうなら樺太や千島、北方四島の住民たちはあのようなひどい目に遭うはずがありません。
NHKは
  「証言者個人の見解」とTVショッピングのような白を切るでしょうが、番組で取り上げたこと自体が許されない。
「NHKが言ってるから」と信じてしまう人も数多くいるのですから。
日本の有名な戦闘機(大東亜戦争)
2017・8・1 (1/2ページ) 文・藤森篤 写真あり、両機の雄姿をご覧あれ!
産経ニュース 「零戦」と「隼」、どちらが優秀な戦闘機だったか? 実際に戦わせてみた
「記事内容」
さほど飛行機に興味のない方でも、「ゼロ戦」「ハヤブサ」という機体名はご存じだろう。
「ゼロ戦」は帝国海軍「三菱零式艦上戦闘機」、そして「ハヤブサ」は帝国陸軍「中島一式戦闘機 隼」の略称である。
  (※8月5日にアップした記事を再掲載しています)
零戦と隼は、太平洋戦争前のほぼ同時期に開発が始まった。
両機は列国戦闘機を凌駕する運動性能と長大な航続距離が要求され、同型式のエンジンを採用したため、似通った性能とスタイルになった。
それは設計上の必然であった。
交戦した米軍は、しばしば両機を混同していたほどである。
したがって
  「もし零戦と隼が戦ったら、どちらが強いだろう?」という疑問がわくのも当然である。
そこで強烈なライバル意識が介在する帝国海軍と帝国陸軍は、メンツは賭けるが記録には残さない、非公式な“手合わせ”(模擬空戦)を実施した。
その結果、全般的に零戦の方がやや優勢だったと伝えられている。
アメリカに現存する零戦22型と隼III型甲を世界で初めて編隊空撮した際に、零戦の米国人パイロットは、
  「零戦は空気抵抗が小さいせいか、スピードが乗って減速しにくいので、隼を追い越しそうになり、編隊を組むのが難しかった」と証言している。同時代に開発され、同型式のエンジンを搭載していても、徹底して空力的洗練を追求した零戦の方が、性能的にやや勝っている証拠の一端といえるだろう。
その半面、空力を追求するあまり、構造・工作が複雑になってしまった零戦は、生産性の悪さが、資源・人材の乏しい当時の日本には足かせとなったことも事実である。
生産性の悪さに関して、現在も零戦の新造作業を行っている米レジェンド・フライヤー社は、
  「欧米戦闘機と比較して、製造に四倍も手間がかかる」と語っていたほどだ。
世界で唯一、飛行可能な隼III型甲(手前)は、千島列島占守(シュムシュ)島で回収した残骸。
零戦22型はニューギニア・バボ飛行場跡で回収した残骸を基に、それぞれ新造された(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)
かたや隼は、割り切った設計を導入することで、戦時下の必須条件である生産性を高めていた。
あくまで性能を追求して、理想を達成するか? あるいは妥協しても、現実的な生産性を優先するのか? 零戦と隼は、スタイルこそ似通っていても、設計思想は対極に位置する戦闘機であった。
日本人は知るべき!
2017・8・17 ユーチューブ
【感動】靖国神社に祀られた青い目のサムライ【海外の反応】【日本に生まれて良かった】
「コメント」
ナシ
 ※在米日本大使館は大東亜戦争開戦前、野村全権大使の行動がまだ、全て明らかにされていない。
昔、プロパガンダ映画を見せられたが、どうも内容は嘘のようである。
その陰に・・・この動画がある。
大東亜戦争は日本人が白人の植民地政策に戦いを挑んだ唯一の戦争!
2017・8・15 DHCTV
【DHC】8/15(火) 百田尚樹・西村眞悟・居島一平【虎ノ門ニュース】

「放送内容」
出演:百田尚樹・西村眞悟
00:02:56 オープニングトーク
00:03:56 番組スタート
00:05:16 百田尚樹氏オープニングトーク
00:06:45 百田尚樹氏・西村眞悟氏オープニングトーク
00:18:43 タイトル
00:21:15 択捉島に香港の観光客15人 外国人の入域絶えず 
※政府が反日の証!
00:29:37 今週の中国船 尖閣周辺に4隻 ※噓つき安倍総理は国交大臣を公明党議員に委ね続けているが、尖閣を守る気があると思う? 
00:37:24 8月15日終戦記念日
00:38:40 終戦72年 平和誓う 全国戦没者追悼式
01:10:45 お知らせ(番組横断DHCテレビ祭り!)
01:13:21 安倍晋三首相 靖国神社に玉串料を奉納 
※参拝しろ!
01:13:48 トラ撮り!(西村眞悟氏:吉野の吉水神社 後醍醐天皇 御座所)
01:17:41 西村眞悟氏おすすめ書籍 家村和幸 著「大東亜戦争と本土決戦の真実」
01:22:37 西村眞悟氏おすすめ書籍2 高山正之・奥本實 共著「なぜ大東亜戦争は起きたのか?空の神兵と呼ばれた男たち」
01:33:20 ククリット・プラモード氏の言葉「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。」
01:34:21 天皇陛下とアジア圏と大東亜戦争のお話
01:37:38 ポエニ戦争のカルタゴ完全武装解除による絶滅のお話「平和を望むなら戦いに備えよ」
01:39:43 百田氏「前川氏は筋金入りのサヨク」
01:43:37 「田原総一朗氏の死後の評価は厳しいものになる」
01:48:13 TBS社員を書類送検 危険ドラッグ所持容疑
01:51:31 ソウル 少女像乗せた路線バス運行
01:55:15 維新・足立議員「野党は旧日本軍の悪い所を引き継いでいる」 
※皇軍を引き合いに出すな、愚か者!
日章旗がようやく帰還!
2017・8・13 (1/2ページ)天野健作 izaイザ 写真あり!
日章旗、73年後の奇跡 元米兵「家族に返すと日本兵と約束」 日米夫妻が返還活動に尽力
「記事内容」
米西部モンタナ州の元海兵隊員、マービン・ストロンボさん(93)が、先の大戦中に戦地サイパン島から持ち帰った日章旗(寄せ書き日の丸)を岐阜県の遺族に返還するため来日した。
ストロンボさんは13日、記者会見し
  「日本兵と約束していた。いつか必ず家族の元に返すと。約束がかなえば私にとって一つの終止符になる」と語った。
その傍らには日本人と米国人の夫妻がそっと寄り添っていた。
つづく
ありがとう!
2017・8・12 
産経ニュース 零戦に残された5枚の名札 ハワイから遺族に返還 真珠湾攻撃参加 空母「飛龍」の乗組員か
「記事抜粋」
昭和16(1941)年、ハワイの真珠湾攻撃に参加し、ニイハウ島で死亡した零戦搭乗員、西開地(にしかいち)重徳(しげのり)1飛曹の機内に残されていた5枚の名札が、ハワイから遺族に返還された。
発艦した空母「飛龍」の乗組員のものとみられ、西開地1飛曹の弟、良忠さん(87)=愛媛県今治市=は「一刻も早く持ち主の元にお返ししたい」と話している。
西開地一飛曹は16年12月7日午前6時半、「飛龍」の第2次攻撃隊としてオアフ島カネオヘ基地を攻撃後、被弾しニイハウ島に不時着する。
ニイハウ島は現在までもロビンソン家の私的所有で許可なく立ち入りができない。
作戦の事前取り決めで飛行不能になった機は白人が居住していないとみられていたニイハウ島に不時着し、潜水艦による救助を待つことが決められていた。
島民に発見された西開地1飛曹は暗号表などの書類や拳銃を奪われ拘束される。
島で働いていた日系2世の原田義雄さんが西開地一飛曹を救助するため、島民に抵抗し逃亡。
2人は奪われた書類と拳銃を奪い返そうとしていた。
しかし13日朝、西開地1飛曹は島民に殺害され、匿っていた原田さんは散弾銃で自殺する。
事件後、原田さんの妻、梅乃さんは
  「傷ついた者を救助するのは当然の行為」と主張したが、国家反逆罪で逮捕され収監される。
収容所を出たのは31カ月後だった。
つづく
 
※流石、日本人! 
今の日本政府とは根性が違う。
※ 日本政府よ、逃げるな! 買い上げろ!
2017・8・12 
産経WEST 零戦の復元機 資金難で身動き取れず 「生まれ故郷の日本に残したい」資金協力を呼びかけ

「記事内容」
第二次大戦中の日本海軍の主力戦闘機で、日本人が所有する唯一の零式戦闘機(零戦)の復元機が、神戸市内の格納庫で行き場を失っている
資金不足で移動できず、受け入れ先も見つからないためだ。
所有者で、ニュージーランドを拠点にビジネスを展開する石塚政秀さん(56)
  「零戦は戦争の悲惨さとともに、平和の意義を伝えてくれる。国内にとどめ、多くの日本人にそれらを知ってもらいたい」として、資金援助を呼びかけている。
零戦は昭和50年ごろ、南太平洋のパプアニューギニア・ラバウルで主翼と胴体が分断された状態で見つかり、残された設計図をもとに復元された。
世界には同機を含め、飛行可能な零戦は4機しかないという。
石塚さんは
  「零戦が飛行する姿を多くの日本人に見てほしい」として平成22年に復元機を3億5千万円で購入。
昨年1月には、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)から約70年ぶりに日本の空を飛んだ。
登録先は米国だが、日本国内での受け入れ先を探している。
今回は6月3~4日に千葉市で開催された航空レースでデモンストレーション飛行するために来日。
デモ飛行後は神戸空港(神戸市中央区)に隣接するパイロット養成学校の格納庫で一時保管されていた。
国内の空港を転戦し、デモ飛行を行う意向だったが費用が不足。
維持費も年間約3千万円かかるため受け入れ先の見通しも立っていない。
石塚さんは、国内受け入れのためインターネット上で寄付を募るクラウドファンディングでの資金集めも検討している。
問い合わせは、ゼロエンタープライズ・ジャパン(フリーダイヤル0120・185・581、平日の午前10時~午後6時)。
 
※大東亜戦争の歴史的資料、反日日本政府は無視するのだろうが、反日三菱重工も保存する意思無しか!
日本人、誰でもいいから寄付を募ってくれ! 
日本の政治家よ、誰一人として動かないのか! 
インパール作戦=激戦を耐え帰国、陸軍の鏡・宮崎繁三郎元中将
2017・8・10 ユーチューブ
【感動】指揮官が敵前逃亡する最悪の作戦で、ついに最後には・・ 宮崎繁三郎中将【海外の反応】【日本に生まれて良かった】
「コメント」
ナシ
小野田少尉が激白・これが大日本帝国が戦った大東亜戦争!
2017・8・9 ユーチューブ 日本人必見動画!
【海外の反応】驚愕!!最後の日本兵が語る大東亜戦争開戦の目的を知る意味とは!!靖国神社参拝をしない総理大臣に物申す!!国を守るため命を捧げた仲間の思いを激白!!

「コメント」
なぜ開戦したのか? 日本の国民ならその真の目的を知るべき!! 
 
※大日本帝国軍人は何一つやましい事などしていない!
アメリカ軍から海洋投棄された大本帝国海軍の潜水艦調査開始!
2017・8・8 チャンネル桜
【日本海軍】「海底に突き刺さる潜水艦は伊58潜水艦か?-五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の調査」講演会[桜H29/8/9]
「放送内容」
平成29年8月22日より、ついにROVを使った潜水艦群の調査が開始される「伊58呂50特定プロジェクト」。その前段階として今までに行われた調査の報告と、今後の活動方針が紹介された講演会の模様を通して、海底に眠る日本海軍潜水艦の今をお伝えします!
プロジェクトの詳細は、「ラ・プロンジェ深海工学会」のブログもご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/laplonge
※この番組は、「国防・防人チャンネル」で公開された「日本潜水艦史」の外伝を抜粋したものです。
  ◆日本潜水艦史 我が国潜水艦運用100年を見る
 海底に突き刺さる潜水艦は伊58潜水艦か?五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の調査 講演会
 [平成29年7月8日 記念艦「三笠」]
 ・ 「ラ・プロンジェ深海工学会の活動」 浦環(一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会 代表理事)
 ・ 「伊58潜水艦とは」 勝目純也(海軍史研究家)
 ・ 「サイドスキャンソナーの原理と24艦の全記録」 柴田成晴(株式会社東陽テクニカ 海洋計測部)
 ・ 「立ち上がる潜水艦」 浦環(一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会 代表理事)
 ・ 司会 古庄幸一(元海上幕僚長)
 
※戦後、軍関係資料は全てアメリカ軍から没収され現在、当時の資料が無い。
要注意・まだ続いているのか日本人の洗脳!
2017・8・8 (1/2ページ) 小川裕夫=フリーランスライター
終戦の日に徹底証拠隠滅 いまだ謎多い旧陸軍登戸研究所偽札作戦の闇(上)
「記事内容」
北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発に成功したと、連日にわたって報道されています。
これまで北朝鮮はアメリカ本土まで届くミサイルを開発できていませんでしたが、ICBMの開発成功で日本のみならず世界が緊張状態になっています。
アメリカ本土に脅威をもたらす北朝鮮のICBMですが、太平洋戦争時にアメリカと敵対していた大日本帝国でも大陸間兵器が開発されていたことはあまり知られていません。
“風船爆弾”と通称される大陸間兵器は、神奈川県川崎市の陸軍登戸研究所で研究されていました。
風船爆弾のほかにも、登戸研究所は化学兵器や電波兵器など、高度な技術力を必要とする兵器を研究・開発していました。
敗戦後の1950(昭和25)年、登戸研究所の敷地は明治大学に購入されて、現在に至ります。
明治大学は2010(平成22)年に老朽化していた登戸研究所の建物をリニューアルし、新たに明治大学平和教育登戸研究所資料館としてオープンさせています。
※平和教育!左翼の発想だろう! 史実さえ残せばいい。
  明治大学生田キャンパス一画にひっそり
小田急線生田駅から、歩くこと5分。
小高い丘の上には明治大学の生田キャンパスがあります。
学生たちが闊歩するキャンパスの一画に、明治大学平和教育登戸研究所資料館はひっそりと佇んでいます。
同館は、戦前期に日本陸軍が秘密戦のために兵器や資材を開発・研究していた登戸研究所を歴史的に記録し、平和教育に役立てるたることを目的にしています。
同館は陸軍登戸研究所を前身としますが、登戸研究所は1937(昭和12)年に開設されました。
冒頭で触れた風船爆弾や広島県の大久野島で実験されていた毒ガス兵器なども、登戸研究所がきたる中華民国との戦争を想定して研究・開発したものです。
※毒ガス! 事実なのか? シナで731部隊が毒ガス兵器製造と言われているが、嘘である。
事実は飲料水の研究だが、敗戦後、シナは731部隊を持ち出し、毒ガス研究と嘘を捏造、これを馬鹿な反日河野洋平が調査もせず認め、砲弾処理、廃棄償却処理費用として数兆円貢いでいる。
未だ、続いている可能性さえある。

そんな日本軍の軍事機密が詰まった登戸研究所の中でも、秘密中の秘密とされていたのが経済謀略戦用兵器の開発を担当していた第3科です。
第3科は紙幣の偽造を担当し、主に中国民国の紙幣「法幣」の偽札を製造していたとされています。
戦後、証拠隠滅のために第3科の文書が焼却処分されたことや関係者が口を閉ざしていたことから、戦後70年以上を経た今でも登戸研究所の偽札については全容が解明されていません。
  なぜ偽札を造ろうとしたのか
そもそも、どうして陸軍は偽札を製造しようと考えたのでしょうか? 明治大学教授で同館の山田朗館長は、こう話します。
  「当時の日本は中国と戦争をしても、すぐに勝利すると考えていました。ところが、中国大陸における覇権を脅かされることを恐れたイギリスやアメリカが、日本の勢力拡大を恐れて中国を後方支援していたのです。それらの支援もあって日本は簡単に勝つことができず、日中戦争は長期化してしまいました。戦争が長期化すると、兵力や兵糧、弾薬などを消耗してしまいます。こうした事態に直面した日本は戦力などを消耗させずに中国を弱体させる作戦として偽札を製造する経済謀略に舵を切ったのです」。
清朝時代の中国大陸では、日本の江戸時代の藩札のように各地の有力者がそれぞれ独自の通貨を発行していました。
辛亥革命で中華民国が樹立すると、中国政府は統一紙幣「法幣」の発行を始めます。
日本の偽札製造は、そうした幣制の移行という間隙をつく作戦だったのです。
ところが、日本政府の偽札製造は思うように進みません。
中国は法幣を発行するためにイギリスから技術者を呼んでいました。
イギリス人技術者の指導もあって、法幣には高度な技術力を盛り込まれていたのです。
登戸研究所で製造された偽法幣は見た目こそ本物に近いクオリティでしたが、手触りがまったく異なっていました。
登戸研究所では完璧な偽法幣を製造するため、日夜、研究がつづけられました。
  終戦日に徹底的に証拠隠滅
また、登戸研究所で製造されていた偽法幣は額面の小さなものばかりでした。一方、中国は高額紙幣を大量に刷っていたこともあり、いくら日本が偽法幣を大量に刷っても中国で経済的な大混乱は起こらなかったのです。
登戸研究所も少しずつ偽札製造の技術力を上げていきます。
1941(昭和16)年には年間で約3000万元しか製造していなかった偽法幣を、1945(同20)年には約40億元まで製造できるようになったのです。
こうなると、日本が当初の目的としていたインフレが起きて中国は経済的に混乱を起こすと思われました。
しかし ──
  「1941年には日米間でも開戦し、日を追うごとに戦火は拡大していました。中国大陸でも偽札とは関係なく物価が上昇していたのです。急激なインフレが起きたため、逆に日本で製造していた偽札でインフレを起こすという目的が薄らいでしまいました。さらに偽札を使って現地で物資を調達していた日本軍は、インフレで苦しむようになりました」(同)。
中国経済の混乱を起こすことを目的とした登戸研究所の偽札製造は不発に終わりましたが、登戸研究所が製造していた偽札は中国の法幣だけではありませんでした。
当時のインドはイギリスの植民地で、独立の機運が高まっていました。
インドが独立に動き出せば、宗主国のイギリスはインドで手一杯になって中国を手助けできなくなります。
そうなれば中国大陸の覇権を掌握できると考えた日本は、インドのルピー紙幣の偽札製造も試みています。
さらにアメリカのドル紙幣の偽造にも着手しており、マカオで石油を購入する際に偽ドル紙幣が使われていたという逸話もあります。
偽札を製造するという、戦時でもタブーとされる作戦に手を染めていた登戸研究所は、戦後に進駐軍から罪を問われる可能性が大いにありました。
そのため、登戸研究所員は終戦日の8月15日に関係書類や実験器具を徹底的に焼却処分し、証拠隠滅を図っています。
  「戦争という非常事態においても、国家ぐるみで偽札をつくることは国際社会の信用を毀損する行為とされ、知られてはいけない秘密でした。登戸研究所内でも偽札を製造していた一画は人の出入りを厳重にし、秘密を漏れないように細心の注意を払っていたと言います。偽札を製造しているということを知っているのも一部の人たちだけで、軍の上層部や憲兵にも偽札製造は知らされていませんでした。また、同じ登戸研究所内で働いている他部署の所員にも口外してはいけない秘密だったようです」(同)。
関係書類などが焼却処分されたこともあって、偽札製造は戦後も長らく封印されていました。
元所員や歴史学者によって登戸研究所の全容解明や歴史的検証が進められていますが、今もなお偽札製造については多くの謎が残されたままになっています。
 ※この話は怪しい! 元所員(証言を左翼から強要されている可能性あり)、それから歴史学者(敗戦利得者)が最も怪しい。
小川裕夫=フリーランスライターは人類にとってアメリカの大東亜戦争における戦争犯罪と大日本帝国の成功していない偽札作り、どっちが人類にとって重要な課題なのか? 
敗戦史観はアメリカ人が捏造した嘘、未だシナと韓国が歴史を捏造中
2017・8・5 ユーチューブ 日本人必見動画!
【衝撃の告白!】「だまし討ちをしたのは米国だった」ルーズベルトの策に嵌められた共和党議員「日本は戦争を望んではいなかった」驚愕の真実!悲しすぎる日本の運命!

2017・8・5 ユーチューブ
【武士道精神】ルーズベルト大統領死去、鈴木貫太郎総理が見せた神対応に海外から賞賛の嵐!【海外の反応- 日本人に誇りを!】 (2)
「コメント」
『宣戦布告なき”だまし討ち”をしたのは米国だ!私は彼を許す事が出来ない』米大統領を共和党議員が痛烈批判!!
 
※動画下に投稿あり!
アメリカ人が心底、アメリカの間違いを悔いるのであれば、国際東京裁判(リンチ)の間違いを糺す再審手続きを開始すべきだろう。
日本政府に渡されたハルノートはコミンテルンが起案した物、これさえ言及されていない。
全権の野村大使も怪しい。
日本の史実を取り戻さなければ、アメリカ人の言う事を真に受ける訳にはいかない。
  (2)
「コメント」

ナシ
「投稿紹介」
 1)日本人という人種は敵と戦っても恨まない...
まるでイエズスキリスト様が誰もできないような『敵をも愛せよ』と教えているが...
それが武士道の精神であり,それをこなせているのは日本人だけのよう...
それがどんなにむずかしいことか....
しかし,その素晴らしい精神により日本国家は聖なる神の霊が宿れる国になっている....
悪霊はそのような国では居心地悪くて繁盛しない,活動できない....
日本人の精神はこの立派な総理大臣から受け継がれている..
いや何千年にわたる昔から武士道のそうした立派な精神は無意識の中にも日本人に古くから受け継がれてきている....
それが本当は国を一番強くするということを誰が,どこの国が知っていたのだろう.....
日本には数知れない神社があって人々は現在も神に礼拝することを忘れていない......日本に祝福あれ
 2)鈴木貫太郎総理。
今の日本人にもその精神は受け継がれていますよ。
敵であろうが相手を敬う気持ち。幸いな事に今の所貴方たちのお陰で平和に暮らしています。
日常生活の中でも相手を敬う気持ちを忘れずに生きて行きたいと思います。
他人をどうこう言う前に,己の襟を正し、正々堂々と戦う。それが日本人の武士道精神。過去の人々の行いに自分も微力ながらもモラルを持って生きたいと思います。
最後になりましたが、動画をアップして下さりありがとうございます。
 
※日本人は当時、欧米列強の白人から「東洋の黄色いサル」と揶揄され人種差別を受けていたが、列強は大日本帝国の台湾や朝鮮、満州国の進んだ統治手法を知っていた。
大日本帝国の卓越した統治能力に脅威を抱いていたのである。
大日本帝国を潰さなければ、欧米列強の植民地政策が人道的罪に問われる可能性を危惧した結果、ルーズベルトとチャーチルは蒋介石を利用し、大日本帝国を大東亜戦争に引き込んだのである。
戦後、大東亜戦争の日米戦を太平洋戦争と言い、大東亜戦争から分離した理由もアメリカの逃げの一例、そして多くの嘘を捏造し大日本帝国の指導者に濡れ衣を着せたのである。
敗戦した大日本帝国側の指導者は罪を逃れんが為、日本人にあるまじき振舞いをした奴もいるのである。
日本人にあるまじき振舞いをしているのが自民党の戦後政治、ドイツ同様、大日本帝国に全ての罪を被せ、日本から切り離そうとしていると考えるべきであろう。
日本の指導者は命を賭して天皇陛下とアジア解放、国を守らんと戦った英霊に顔向けが出来ようか!
敗戦利得者(政府や政治家、官僚、メディア、有識者、学者、あらゆる各階層)は日本の史実が明かされる事に恐怖しているのである。
大東亜戦争はアジア解放戦争!
2017・7・27 ユーチューブ 日本人必見動画!
【海外の反応】驚愕!!世界史を塗る変えた大東亜戦争の本当の意味!!最大の遺産はアジアの植民地脱却!!あと5年長く続けば40年早くアフリカ・中東も独立していた!!ビックリ
「コメント」
ナシ
「投稿紹介」
特亜共はこの戦争を侵略戦争だと事実を捏造改ざんして教育をしていますがね?、
大東亜共栄圏とは読んで字のごとくなのに侵略と定義する馬鹿が多いのも本当に残念でならないねぇ
 
※世界から尊敬され感謝されている大日本帝国。
無知な反日イデオロギーに固まった村山元総理がアジア歴訪、各国に謝罪行脚を実行、己の馬鹿を露呈した。
目覚めよ、日本人!
日本人よ、大日本帝国軍の真の姿を知れ!
2017・7・26 ユーチューブ
【感動】なぜマドラ島で「愛国行進曲」が歌い継がれていたワケが、思わず・・・【日本に生まれて良かった】
「コメント」
ナシ
 
※日本人はこんなに慕われる大日本帝国軍が人類に対し悪い事が出来ると思うのか? 
旧日本人である朝鮮人の悪事がアメリカの報告にあるが、一部の朝鮮人は我は名誉ある帝国軍軍人であると言い甘んじて刑に服し処刑された将校もいる。
アメリカの日本潰しは戦前から今も尚続きている。
何故か? 日本人は世界で最も優秀な大和民族だからである。
白人がどう逆立ちしようが、日本人に絶対勝てない事を彼等は第一次世界大戦や満州国と台湾、朝鮮半島の統治、大東亜戦争を経験し学んだのである。
だから、アメリカは己の戦争犯罪を隠し、嘘を捏造し、大日本帝国を潰したのだが、日本は戦後20年で復活した。
アメリカは日本の手かせ足かせを外す事無く2016年迄来たが、2017年トランプ大統領が登場した。
日本は絶好のチャンスだが、世界統一派のパシリである嘘つき安倍総理はアメリカのトランプ政権が権力を掌握しない限り動けないのである。
日本に生涯を捧げるヘンリー・S・ストークスに勲章を授与しろ!
2017・7・23 (1/2ページ) 『悟空出版』第一編集部 編集長・河野浩一 【編集者のおすすめ】 日本人必見記事!
産経ニュース 『欧米の侵略を日本だけが撃破した 反日は「奇蹟の国」日本への嫉妬である』 英国人記者の「文明対決論」
「記事内容」
英米紙の東京支局長を歴任した後、戦後の世界の動きを日本から見詰め続けてきたヘンリー・S・ストークス氏は『外国特派員協会重鎮が反日中韓の詐偽を暴いた』(弊社)を筆頭に数々のベストセラーを出版してきた。
そのひとつを英訳した『英国人記者が見た連合国の歴史観の虚妄』(2016年、Hamilton Books)に対し、今年6月、国家基本問題研究所から
  「日本研究特別賞」が贈られた。
本書はその記念出版であり、ストークス氏の最新作である。
ストークス氏は
  「この五百年は白人が有色人種を支配する歴史だった」「それを打ち破ったのが大東亜戦争を戦った日本人だった」と言う。その主張はまさに日本人を覚醒させる。
そして氏は思索をさらに『文明論』にまで広げ、本書で次のように喝破する。
  「神話にまでさかのぼる万世一系の天皇のもと、日本だけが他国に征服されることなく、アジアでいち早く近代化を成し遂げ、欧米の侵略を撃破した。植民地とされた国々が独立できたのは日本のおかげと言っても過言ではない」
  「中韓の反日は、この“奇蹟の国”への嫉妬である」
  「日本人自身が自らの悠久の文化と正しい歴史を知り、日本の特長を生かして、世界の新秩序構築に務めてほしい」
アメリカ主導で築かれた戦後の世界情勢が大きく軋(きし)み始めている今、ストークス氏の主張はまさに正鵠(せいこく)を得たものであり、今後日本が進むべき道を考える上で、大きな指標となるに違いない。
(ヘンリー・S・ストークス著/悟空出版・1400円+税) 
 ※嘘つき安倍総理よ、お主は何故、反日・シナの犬・アメリカの売国奴であるキッシンジャーに勲章を授与したのか? 
お主も彼等の仲間なのか!
地下司令部・永久保存しろ!
2017・7・17 産経フォト
戦時下の「地下指令本部」 29日初公開、呉総監部
「記事内容」
太平洋戦争時に日本海軍呉鎮守府(広島県呉市)が使用した地下壕が初めて今月29日に一般公開されるのを前に17日、報道関係者向けの視察会があった。海上自衛隊呉地方総監部によると、当時の技術の粋を集め、アーチ型の天井や厚さ約1.5メートルの壁に覆われた作戦室は、臨時の「指令本部」として使用された可能性もあるという。
呉地方総監部によると、地下壕は1945年4月ごろ、呉鎮守府司令部庁舎の裏手に建設された。
同年7月に空襲で庁舎が焼失した後、海軍は地下壕で任務に当たっていたとされる。終戦後は倉庫として使われていた。
視察会では、頑丈なコンクリート壁で覆われ、幅14メートル、奥行き15メートル、最も高い地点6メートルの作戦室と隣の小部屋、鎮守府庁舎をつなぐ地下通路への立ち入りが許可された。
敵機襲来時には作戦室の壁に張られた地図の豆ランプが点灯する仕組みになっていたとする記録が残っているという。
日本人よ、アメリカの嘘を何時まで許すのか!
2017・7・4 共同
産経ニュース トランプ大統領、日本を空爆した元米兵を激励

「記事内容」
トランプ米大統領は2日、1942年4月に米軍B25爆撃機の編隊が東京など日本本土を初めて空爆した「ドゥーリトル空襲」に参加した米兵のうち、最後の生存者として知られるリチャード・コール元中尉(101)を電話で激励した。
ホワイトハウスが3日発表した。
コール氏は隊長機の副操縦士だった。
最近けがをしており、トランプ氏は早期の回復を願っていると伝えた。
コール氏は9月に102歳の誕生日を迎える。
ドゥーリトル空襲は、41年12月の日本軍による真珠湾攻撃への報復として計画された。
コール氏が乗り空母から飛び立ったB25は安全圏に帰還するのに十分な燃料を搭載しておらず、コール氏は中国本土上空で脱出し、救出された。
 ※日本政府よ、大東亜戦争の総括をしろ! 
目覚めよ、日本人! 東京国際軍事裁判は人種差別裁判、有色人種・日本人へのリンチだ! 
アメリカの戦争犯罪を暴け!